2010年04月05日(月)

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」ヨハネ12:24



肉は損得を考える。自分の益にならないことに、時間、労力、富は使いたくない。犠牲を払うことを、肉は嫌がる。回避する弁解と言い訳は幾らでも出てくるが、つまり「地に落ちて死」にたくない。

ある婦人が、イベントを計画していた中、自宅でどうかとの打診に、とっさに言ってしまった。「その日は仕事でだめ」と。実は、家の片づけや準備が面倒でおっくうだったので、回避したかった。そしてその日、忙しくて遅くまで残業で、愚痴りそうになった時、ハッと、主が教えて下さった。

犠牲を払うのが嫌で、とっさに出してしまった言葉、それが嘘にならないよう、主が仕事を与えて下さったのだと。本当に「ごめんなさい」で、主のあわれみと優しさに、心温められて仕事が出来たと。

麦は地に落ちて、芽が出て、花が咲き、実が実るが、麦自身は地中で死んで、その結実を見ることができない。しかし、豊かな実がなる。肉は犠牲を嫌がる。そして、見返りを求めるものだ。他人の評価が欲しいし、感謝が欲しい。

今、何かの犠牲を払うことを、主から求められているなら、従ってみよう。自己中心から神中心に神優先に変えることだ。私たちの好きなように、自分のためにだけ人生を生きるなら、それで終わる。しかし、自分の思いでなく、主の御心に従うなら、必ず豊かな実を結ぶ。
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自分のいのちを愛する者は失い、憎む者はそれを保って永遠のいのちに至る。私達は主の尊い犠牲の上で、永遠のいのちを頂いたのだから、仕えられる者ではなく仕える者、受ける者より与える者として生きて行きたい。