2010年05月06日(木) 「・・その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです」ローマ6:16
「・・その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです」ローマ6:16
コーリー・テン・ブームは、第二次世界大戦時に、ユダヤ人をかくまったために、 姉と捕らわれ、ナチスの収容所に入れられた。苛酷な収容所生活で、残虐行為は 日常であり、人々は次々と死んで行き、日々が死と隣り合わせだった。 怒り、喧嘩、争い、奪い合い、誰も他人の事など考えられない。そんな中で、二 人は聖書を読み、賛美し祈り、御言葉を語った。すると人々が変わって行った。 「ごめんなさい」「いいえ、いいのよ」「大丈夫?」地獄の中に思いやりが生ま れた。奇跡が起きた。食事を盗んでいた人々が、与え合うようになり、病人をい たわった。多くの女性達が主に導かれた。 悲惨で、苛酷で、いつ死ぬかわからない、気も狂うばかりの状況の中で祈り、神 の御手に、御言葉に支えられて生きた。コーリーと姉の証しに、どんなに苛酷な 状況の中でも、私たちは、自分の生き方を選択できることを教えられる。 私たちはどうだろう。少し思うようにならないと、怒り、いら立ち、神を恨み、 人を恨み、何もかもを環境のせい、人のせいにし、自分は悪くない被害者だろう か。 あるいは、苦しい状況の中で、神を仰ぎ、御言葉を受け止め、その中で感謝を献 げて行くだろうか。これはオートマチックではない。私たちの選択だ。環境に、 ほんろうされるのではない。それなら環境次第で、霊的状態がコロコロ変わる事 になる。 私たちは選択して生きる自由が与えられている。 ・・・・・・・・・・・・・・ 常に目の前に、御霊と、肉への反応の、二つの選択がある。それは自らの意志だ。 常に選んだ結果の実を刈り取る。苦しい状況に、投げやりになり、自己憐憫に陥 り、反抗的になる事も出来る。そして、御霊に明け渡し従い、自分に死んで、御 霊の実を結んで行く事もできる。そう選択できるよう祈ろう。