2010年06月05日(土) 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」ガラテヤ2:20
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」ガラテヤ2:20
誰しも外側から見ていると、人の事もはっきり見える。冷静に見ることができる ので、よくわかる。いつも問題を起こす人、常に問題を持っている人の特徴があ る。それは「私、私、私」だ。どこまで行っても、ただただ「私」なのだ。 「私」しか無い。「私」がすべてだ。誰も触れる事のできない強烈な自我がある。 私はああで〜こうで〜、強固な自己があり、誰にも、御霊にすら触れさせない。 恵みに自分で心閉ざしている。だから問題なのだとでも、言おうとするなら、激 怒だ。 「自分のことをわかってくれない」との言葉に会う。すべてをシャットアウトし て、自分の中にこもる。誰も入る事を許さない。強烈な自己愛だ。こうであるな ら、変わる事は不可能だ。自分から一歩も出られない。 自分で自己憐憫の殻にこもって出ようとしない。私たちも「私」「私」「私」だ ろうか。そここそが問題だ。常に「私」が問題だ。自己愛から、自分の殻から出 て、御言葉に一歩従ってみよう。 その時、自分が変えられて行く。自分が変えられるのは、御言葉に従う事によっ てだ。自我の殻が破られて行く。一歩一歩自分に従うのでなく、主に、主の言葉 に従って行くなら、どんな人であっても、必ず変えられて行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ すべての問題が自我にある。ここ数日間に起きたあの事、この事はどうだろう。 あの反応、この態度、自我から派生していて、自分が問題だ。このどこまで行っ ても、どうにもならない自分を十字架で解決して下さった。すでにキリストと共 に死んでいる、今朝もここに立って、主と共に一日を始めよう。