2010年09月05日(日)

「私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません」ローマ8:12


主は「何も」思い煩うな!と言われる。いっさい心配するなと。ところが、何も
心配しないなどと、無責任ではないのか。そんな事でいいはずがない。「自分
で」問題に対応し、処理しすべき、そのために、きちんと思い煩わないといけな
いのではないか。

無意識にそう思っていないだろうか。これは肉の思いだ。この思いに騙されて引
かれて行ってはならない。思い煩う人は、心の底を見ると、思い煩いが無ければ
不安であり、わざわざ思い煩いを引き寄せて来る。思い煩っていれば、肉は安心
なのだ。

私たちは「肉に従って歩む責任はない」。主イエスが、肉と同じかたちで十字架
につけられ、肉を処罰され、肉の責任をすべて主が受けて下さった。肉はすでに
片が付けられ、解決済みであり、だから、肉に従う理由も責任もない。

御霊の声だけに聞き従って歩めばよい。「何も」心配しなくてよい。こんな解放
があるだろうか。主は羊飼いであり、私たちは羊だ。必要なものすべては、羊飼
いが責任もって備えて下さる。

飲み水のある沢に、食物のある草地に導き、羊飼いは身を挺して羊を狼から守る。
心配は主がしていて下さる。

「神があなたのことを心配してくださるからです」私たちは心配する責任はない。
私たちの責任は、主について行くことであり、それだけだ。自分には、先は全く
見えないが、主は先を見通しておられる。何と安心で感謝な事だろう。

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何もかもを、心配していて下さる方がおられる。目を注ぎ、配慮し、愛していて
下さる。だから、自分で心配する必要がない。私たちの責任は、その主に従って
行くことだ。一つ一つ主のお心に従う事だけを考えていよう。その一点に目を注
いでいよう。