2010年11月05日(金)

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ・・欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます」ヤコブ1:14


ある人が自分の短気に悩んでいた。とにかく、何かあると、すぐ怒りが湧く。そして、カッーとなるともうだめで、収まらない。怒り噴出で、そばにいる家族に怒りをぶつけ、当たってしまう。周囲に嫌な思いをさせ、害毒を流す。自分も暗たんたる思いに落ち込み、常に反省するのだがどうしても直らない。この事で助
けを求めて祈っていた時に、気づかされた。

「怒る事をやめられない」のでなく「やめたくない」、そして「怒りをやめたくない」のでなく「怒りたい」のだと。「怒り」の欲望に誘惑の餌が来た時に、その欲望に待ってましたと、乗じて行く自分がいて、すでに怒ろうとしている自分がいる。サタンからの誘惑が来たその瞬間自分を引き渡している。

そんな自分の姿が見せられた。ここが問題で、ここからいつも繰り返す同じパタンに進む。本当は怒りたいのだ。私達のそれぞれの弱さ、誘惑も同様だ。妬み、貪欲、裁き、思い煩い、断ち切れない悪習慣・・誘惑が来た時に、自分を「引き渡す瞬間」がある。

罪を好み、罪を愛し、罪を犯し続けたい本当の自分の姿を認め、この瞬間に主に助けを求めよう。自力で断ち切る事は不可能だ。自分で何とかできると思い、何とかしている限り、主は働けない。無力を認める時に、主が助けの手を延べて下さる。
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自分の肉の欲や弱さを変えたいのかよく考えてみよう。変わりたいなのなら、裁いて当然だ、怒って当たり前・・とのサタンの誘惑が見える。くり返す失敗をよく見張りサタンの誘惑に引き渡さず主の導きに明け渡そう。