2011年01月05日(水)

「サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデをサウルの手に渡さなかった。」Tサムエル23:14


サウルは嫉妬のゆえに、ダビデを殺害しようと執拗に追いかける。ダビデはケイラの人々をペリシテ人の手から救った。しかし、サウルがそれを聞いて、ケイラに下り、ダビデを封じ込めようとした。ダビデはケイラの人々の裏切りを知り、神の示しにより再び荒野へ逃亡する。

ダビデが逃げた事を知り、サウルは討伐を止めた。「神が」決して、ダビデをサウルの手に渡されなかった。ダビデは逃亡を続けジフの荒野に潜伏する。
命をつけ狙われ、いつ殺されるかわからない、まさに死と隣り合わせの日々であり、恐怖であった。

サウルは一国の王であり、ダビデは僅か600人の部下がいるだけだ。比較にもならない。いざとなればサウルは国民全体を招集できる。その時、ヨナタンが、神の御名によってダビデを力づけた。

「恐れることはない。父の手があなたの身に及ぶことはない。あなたこそイスラエルの王となる」と。「神が」ダビデをサウルの手に渡すことなく守られると。ヨナタンは状況を見るのでなく、神を見、神の約束を見ていた。

王の息子が、ダビデにはっきりと、あなたこそ王で、自分は次に立つ者だと言った。立場と状況を見る時、いかにヨナタンが神を畏れ、神に従う者であるかがわかる。彼の信仰だ。「神の御名によって力づける」とは、神の約束と神の御心に基づいて、力づける事だ。状況がどうであれ、神の主権の中だ。
------------
行き詰る時、自分の判断で動こうとせず、そのままの状態を神様に差し出し導きを祈ろう。見るべきものに焦点をあわせ、窮状の中で与えられる恵みを待とう。