2011年04月05日(火)

「主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る」詩篇33:10


人には、自分の思いがあり、プランがある。しかし神にもプランがある。ヨセフの生涯に顕著に見られる。兄達たちの妬みを買い、隊商に売られ、思いもよらぬ異国の地へ。孤独、不安、心中いかばかりだったろう。しかし、そこで買い取られた主人に仕え、好意を得、全財産を任せられた。「主が共におられたので」は鍵だ。これは主による事であった。

しかし、又も苦難が臨み、無実の罪で投獄に。しかし、そこでも「主が共におられ、監獄長の心にかなうようにされ」模範囚となりすべての囚人の管理を任された。やがて出獄かと期待が膨らんだが、献酌官長との約束は忘れられ、又、2年が過ぎた。神の時は何と長いのだろう。結果的には2年だが、その渦中では、どんなに試され、忍耐が要った事だろう。最終的に総理大臣となり、飢饉の中、ヤコブや兄弟達の命を救う事になる。

ヨセフが売られて以来10数年だ。命を救うため、神が先にヨセフを送られた。ヨセフ自身にも自分のプランがあったろう。神のプランは想定外であったが、結果的に遙かに素晴らしいものであった。私達にも自分の人生計画がある。しかし、神の計画は、必ず遙かに素晴らしい。ヨセフは神の計画を歩み、信仰も品格も練り上げられ、使命を全うできた。自分の肉の計画は虚しい。神のプランの道は永遠に至る。残りの人生、自分を明け渡して、神のプランに歩めるよう祈ろう。
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許されて与えられている今日の恵みに目をとめ、今日も神のご計画のうちを歩んでいるのか、そして歩んで行ける様に祈りたい。今もっている計画は誰を喜ばせ、誰の栄光のためだろう。