2011年07月06日(水)

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい」コロサイ3:23


周囲への配慮、親切、人々に仕える事は、主に喜ばれることだ。しかし、私たちが人々に仕える時、心はどうだろう。無意識にも報いを求め、見返りを求めてしまうだろうか。相手に犠牲を払って、もし感謝が無かったなら、心の内はどうだろう。そこから解放される道は一つ、キリストに仕えることだ。人にではなく、キリストに仕えるなら、人を愛する事ができる。時間や労力を、惜しみなく与えることが出来る。

人に時間や労力、必要を与えようとする時に、主を自分の前に置き、そして主に対してすることだ。そうするなら、主に仕えているのであり、相手から感謝が無くても、喜びもって平安に歩める。一つ一つの行為は、主に対してする事になるからだ。ある教会でのクリスマス、ある女性が持ち寄りにクッキーを焼いて持参した。ところが多忙な係の人に、そこに置いておいて下さいと言われ、見る事も、感謝も無く、せっかく時間をかけて作ったのにと腹を立てた。

しかし、その時に、自分は誰のために、何のために作ったのだろうと思わされた。主のために献げたのなら、人の感謝を求めるのは違う。どんな些細な奉仕でも、主に対して献げたなら、主が報いて下さる。そして、仕えている相手が主であるなら、私たちの心に喜びが湧く。
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喜びもなく物や人に仕えるのではなく、主を自分の前に置き、主が喜んで下さる、の思いで心をこめてやって行こう。人目につかない働き、影の働き人を主が見ておられる。