2011年08月06日(土)

「アジアでみことばを語るのを禁じられたので、フリキヤ・ガラテヤの地方を通 った」使徒16:7


パウロは小アジアに前進しようとした時、聖霊によりストップがかかった。それ
でムシヤへ向かい、ビテニヤの方へ行こうとした。すると、またもや止められた。
そのため、又、別の方向、トロアスに行った。そこで、主のみこころであるマケ
ドニヤを示された。

それらのストップを通して、パウロは、神のみ思いは、自分の思いとは違う事を
学んだ。もし、聖霊の制止が無ければ、パウロは御心と異なった方向に進んでい
たことだろう。聖霊が進路を止めて下さるのは感謝なことだ。阻止によって、私
たちは正しく御心の道へと、軌道修正される。

私達はどうだろう。物事がとにかく自分の思い通りには行かなければ、失望落胆
し、ひどく落ち込むだろうか。無気力になるか。又、心に怒りが湧き、苦い思い
を持ち、心頑なにするだろうか。だが、神のご計画は常にベストであり、私達に
はベストでなくベターに見えるものが、実はベストなのだ。

ある人が願った受験進路が閉ざされた。なぜ??成績優秀であり、自分はトップ
クラスだ。不合格に愕然とし、がっくり落ち込んだ。そして、二番目の進路へと
進んだ。しかし、結果的に、その所で素晴らしく用いられ、周囲に救われる人々
が起こされ、豊かな実を結んで行った。

本人は、不合格の挫折によって砕かれ、自分がいかに高慢であったかに気づかさ
れた。目に見えて人柄が変わり、周囲の目から見ても、大きく成長した。そして
結局は願っていた道へとその先に導かれて行った。ベターに見えるものが、実は
ベストだ。

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目の前で進路が閉ざされると、がっくりしてしまう。自分の目には絶対に最善と
思えるので、落胆は激しい。しかし、別の開かれた道から進んで行くと、目の
前が広がって行き、まさに自分の思いでなく、主のみ思いが成し遂げられて行く
事を経験する。そして、その方が遙かに良かったと。