2012年05月06日(日) 「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属する ことをひたすら考えます」ローマ8:5
「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属する ことをひたすら考えます」ローマ8:5
]「肉的なこと」とは、どんなものだろう。自己中心的な考え、ネガティブな考 え、妬み、憎しみ、貪欲のような肉の欲望だとは想像がつく。しかし、もし礼拝 に忠実に出席し、沢山の奉仕をしていても、自分がほめられたいため、認められ たいがためなら、「肉的なこと」だ。 肉に従うことは、自分がどうやったら認められるか、栄光を受けるかを絶えず考 える。 又、「御霊に属すること」とは、御霊からくる思いであり、絶えず御霊と共に歩 むことを、祈り、考えている。自分を捨てて、御霊の示しを求めている。主とひ とつであり、そこには喜びと平安があり、感謝がある。 私たちは自分の思いを、コントロールすることは、なかなか困難だ。思いはちぢ に乱れ、あちらこちらにさまよう。どうすれば良いのか。御霊に自分の心を明け 渡して、支配していただくことだ。その時、御霊が正しく導いて下さる。 ある人々は、信仰生活が喜びであり、幸福感をもって、歩んでいる。又、そうで なく、愚痴と不満で一杯の人々もいる。どこが違うのか。いつも喜びのある人は、 御霊に目を向け、ひたすら考えている人であり、愚痴だらけの人は、愚痴に目を 向けている人だ。 環境は関係がない。環境が原因ではない。その人が思いをどこにつけるかだ。い つも恵みを数え感謝している人は、幸せだ。何に目を留め、何を考えているかで、 生き方が決まる。 「現在の状況は難しいが、主は必ず良くして下さる、信じていよう」これは御霊 による思いだ。肉の思いと御霊の思い、いつもどちらの思いで生きているだろう。 ・・・・・・・・・・・・・・ 自分の思い通りに歩みたいという肉の思いを、そのまま認めて、御霊の助けを仰 ごう。主を思い、御心を尋ね求めて歩めるよう祈ろう。思いはあちこちさまよい、 コントロール不能だ。自分では出来ないが、御霊が絶えず助けて下さる。