2012年08月03日(金)

「イエスは・・ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちは主を信じた」ヨハネ2:11


カナの結婚式で、主は、水をぶどう酒に変える奇跡をされた。その時に、手伝いの者たちに80〜120リットルの水がめ6ヶに、水を汲ませた。手伝いの者たちは、なぜ水を汲むのか、何の意味があるのかわからないまま、主が言われるので、言われた通りに水を汲んだ事だろう。まさにその水がぶどう酒に変えられた。

世話役や結婚式に出席している人々は、何もわからないまま、知らないまま上等のぶどう酒を味わい、楽しんだ。そこに神を認めることは無い。しかし、弟子たちは違った。それが主のみわざと知っていたので、「それで、弟子たちはイエスを信じた」。

主は日々、私たちの日常生活の中で、みわざをなされ、働いておられる。しかし、主を認めなければ、それは偶然であり、たまたまそうなったのであり、運が良かったのであり、主に感謝することなど無い。私たちはどうだろう。日々、主のご愛や配慮を認めることなく、起きる一つ一つの出来事を偶然として、流していれば、世話役や人々と同じだ。

そうでなく、この1日は主から来ていて、主から家族が与えられ、仕事が与えられていて、状況、環境も主の御手の中だ。当然ではなく、当たり前ではなく、主からのものだ。そこに焦点を当てて、この1日を見る時に、弟子たちのように、主のみわざを認めることができ、感謝が溢れ、更に主を信頼して行くことになる。
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誰が水をぶどう酒に変えたか知っていたことが、水を汲んだ者達への大きな報いと恵みだ。私達も日々、主が全てに関わって下さることを知っている。感謝して生きていこう。