2012年09月02日(日)

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇3 7:4:4



「主をおのれの喜びとせよ」とあるが、私たちは、何をおのれの喜びとしている
だろう。それは、心の底では、何を求めて生きているか、となってくる。自分の
願望、欲望が成し遂げられる事だろうか。欲しいものを手にすることが喜びだろ
うか。

ここでは自分の願望や、欲しいものでなく、「主を」となっている。私たちの心
の奧を真に満たすものは、この世の与えるものではなく、主ご自身であるからだ。
真の満足と、本当の幸福は、主ご自身からしか来ない。欲しいものを手にした時
に、一時的な喜びがあるかも知れない。しかし、それは続くものではない。

経験あるだろうか。ある人が少年の頃、ギターが欲しくて〃たまらなかった。父
親が誕生日の贈物にすると言い、もう胸ワクワクで、その日を指折り数えて待ち
に待った。当日は喜び絶頂で、心踊り、授業も頭に入らず飛んで帰った。待望の
ギターを手にした。その瞬間だった。サアーと心が冷めてしまい、願望も失せ
て虚しさで一杯になった。自分でもわけがわからなかった。

その数年後、彼は主に出会った。初めて、決して無くなる事のない、泉となって
湧き出る、御霊の喜びを経験した。真の喜びは、主のみから来る。そして、主の
下さるものでなく、主ご自身を第一に喜びとして行く時、主のお心にそって求め
て行く事になる。そのため、御心にかなった願いをする事になるので、叶えられ
て行く。

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本音の喜びは何だろう。表向きでなく、本音は何を求めて生きているのだろう。
自分の願望、欲望が満たされるなら、幸せになれると勘違いするが、そうではな
い。どこまで行っても満たされない。自分の欲望満足でなく、主の満足を求めて
行く時、自分は満たされる。