2013年01月06日(日) 「自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありま すか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく 思われるのですか」マタイ20:15
「自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありま すか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく 思われるのですか」マタイ20:15
これは「天の御国」のことを言っている。天の御国では、先の者が 後になり、後のも者が先になると。地の国から見ると反対だ。地上 の価値観は、先の者が先で、後の者は後だ。天の御国の価値観は、 この地上の価値観と全く異なる。何もかもが恵みによりおおわれ、 恵みに支配された世界だ。 地上は、報酬の世界だ。働いた分に比例して報いを得る。労働を提 供した分は、きっちりと受けたい。どうしても、この御国の価値観 とこの世の価値観が、くい違い、かみ合わない。この世の価値観で は、働きにきちんと比例しない報酬に腹を立てる。 それはこの世では「正しい」ことだ。しかし、御国は「恵み」の世 界だ。そして、それはこの世では、経済活動が成り立たず、混乱に なる。つまり、御国とこの世は、全く別ものだということだ。 主もちゃんとルールには乗っ取って、早朝の労務者と1デナリの約 束をされている。雇用契約をし、きちんと契約通り支払われた。そ して、与えに、与えて下さる、溢れるばかりに気前の良い主は、他 の者にも良くしてやりたいと思われた。 肉の培われた根深い価値観があり、御国の価値観が受け入れ難い。 神の国が恵みの世界とは、何と嬉しいことだろう。実は、主の一方 的な恵みとあわれみによって、今、生かされていることに目が開か れるように。 ・・・・・・・・・・・・ 主は、この世の「正しい」価値観とは違う「気前のいい」方だ。御 国は、恵みとあわれみの世界だ。このあわれみが自分にも豊かに注 がれているとは、驚くばかりだ。自分の底にある価値観が、御国の 価値観と異なる事に気づく事から、成長が始まる。