2013年02月02日(土)

「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊で す」ヨハネ3:6



私たちは新しく生まれて、御霊によって生まれ、霊の人とされた。
しかし、新しい人と同時に、肉もまだ私たちの内にある。御霊に従
おうとすると、肉が邪魔をする。心に激しい葛藤が生じる。日々経
験するところで、常に戦いがある。

「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考え、御霊に従う者は御霊に
属することをひたすら考える」とあり、思考により、生き方が変わ
って来ると言っている。

毎日の生活で、何を考えながら生きているだろう。自分のことばか
りだろうか。又、憎んだり、妬む相手、赦せない相手がいて、その
相手の事ばかり考えているだろうか。それとも、主のことを考え、
御言葉を思い、御心を絶えず求めているだろうか。

まず思考があって、行動があるので、その絶えず考えている事が、
行動になって出ることになる。罪を犯してしまう。普段、何を考え
ているかは重大で、その人を形造ってしまう。肉に対抗する力があ
るのは、御霊だけだ。御霊に明け渡して歩む時、自分の力ではなく、
御言葉に従えるようにされる。

御霊が助けて下さるから、肉はずっとそこに存在しているのだが、
肉ではなく、御霊に導かれた歩みができる。
ある人が、相手の言葉にカチン!と来て、攻撃的な言葉が出そうな
瞬間「主よ、助けて下さい!」と心の内で全身で拠り頼んだ。穏や
かな言葉が口から出て来て、御霊の助けに感謝した。御霊が共にお
られる。いつも拠り頼もう。
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「出来ません」と主に祈り、明け渡して行く時、不思議に出来なか
った事が、出来るようにされる。主が成し遂げて下さる事を、主の
みわざを経験する。自分の力では決して出来ない。認めて行く時に
不思議を経験する。