2013年05月06日(月)

「肉にある者は神を喜ばせることができません。けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら・・肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」ローマ8:9


ある人が、小さい時からずっと、周囲の皆に「良い子」と言われて来た。良い子に見られたかったし、そう言われる事は嬉しかった。良い子であろうと、懸命に頑張り、自分でも良い子だと思っていた。大きくなっても、良い人に見られたいので、頑張っていた。

しかし、そんな時、本当の自分の姿があらわにされたのが、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」だった。自分に、決して出来ない事であった。人の幸せが、羨ましくて妬ましい。人の幸せを喜ぶ事ができない。悲しむ人と共に悲しめない。むしろ自分の幸せに安堵してしまう自分、心に潜む罪の現実を見せられた。

ある人は、入試に不合格だった。失望落胆し、心重く沈んだ。その時、友人の合格がどうしても喜べない。「祝福できない。言葉もかけられない。助けて下さい」と主に祈った。すると、心は重いが、主が喜ばれるなら、一言祝福を送ろうと心が変えられた。祈りの答えだった。そして従うと、不思議に平安になった。相手は非常に感銘を受けたと、証しと用いられた。

ある人は、同じ病状で、後で入院して来た人が、どんどん回復して行く事に、共に喜べない。心には妬みが渦巻いた。自分の醜さにショックだったが、主に近づけた瞬間だった。自分では出来ない事を認め、主に拠り頼んだ時に、御霊が導いて下さることを経験する。
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肉の思いに従いたくないと思える事がまず大きな感謝で、すでに御霊の導きの中にいる。自分には何も出来ないが主が助けて下さる。信じて祈り、御霊に従ってみよう。