2013年06月04日(火)

「イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた」マタイ14:13

人は皆、人生の中で、孤独を感じる時がある。主を信じる以前は、罪により主から断絶されているゆえに、孤独で虚しく生きる目的もわからなかった。主のもとへ帰った今、時に主は、私たちに孤独を与えられる。家族から離れての一人住まい、又、誰も知らない地への転居・・しかし、その孤独は悪いものではなく、むしろ良いものだ。それは、私たちを神に近づけてくれる。

時に、神は私たちの目を、ご自身に向けさせたいがために、孤独を送られる。特別な神からの取り扱いだ。寂しさの中で、真に心が神に向く。神のみに向けられ、望みが神だけになる。又、自分自身を深く見つめる事ができる。主との深い交わりを経験する。人からの裏切りに会い孤独だろうか。親しい人が自分のもとを去っただろうか。主も十字架上で御父に捨てられた。又、ゲッセマネの園で弟子たちが眠る中、深い孤独の中で祈られた。そして、主が極みまで愛された弟子達は、我先にと逃げ去ってしまった。

誰よりも孤独を知り、わかって下さる同伴者だ。主を見捨てた弟子たちへの言葉が「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」だ。主は決してあなたを離れず、見捨てられない。主は時に、孤独を送られる。世の騒がしさから離れ、人の交わりからもしばし離れ、主にのみ心を向けさせるために。そうでなければ、人で満足してしまって主のもとへは決して行かない。孤独が来た時、主と交わり、主で満たして頂こう。
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寂しさを埋めるものは世にはないと知っているから感謝だ。孤独を感じたなら主にしっかりとしがみつき離れず、御言葉を読み祈ろう。エマオの途上の弟子達のように、主が近づき心を熱くして下さる。