2013年10月05日(土)

「あなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖を もって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことで した」エペソ4:24


古い人とは、生まれつきの肉であり、肉は、神を神とも思わず、自
分の思い通りに生きて行く。自分が神であり、自己中心な虚しい状
態だ。新しい人とは、主を信じ、新生し、主との交わりが回復され、
生き生きと生きて行く、神の性質が与えられている状態だ。

主を信じた時に、古い人は脱ぎ捨てられ、新しい人を身に着た。主
の十字架のゆえだ。しかし、古い性質は、まだ残っていて、弱さの
ゆえに罪を犯してしまう。だが、その罪は悔い改めるなら、赦され
る。生涯、赦されて赦されて歩んで行ける。

自分、自分と、古い性質が出て来る度に、「自分の古い人はキリス
トとともに十字架につけられた。十字架で罪のからだは滅んで、キ
リストとともに新しい人が生きている」と、信仰によって受け取っ
て行く歩みだ。すでに「古い人は十字架につけられた」と信じ、御
言葉にとどまって行く歩みだ。

罪を犯さないのではないが、主の目には、キリストを信じ受け入れ
た者は、すでに古い人は十字架につけられ、脱ぎ捨てられ、新しい
人を身に着ている。そして更に日々新たにされて行く。「心の霊に
おいて」=「心の底から」「心の深みまで」新たにされて行く。

信仰はハウツーやテクニックではない。表面的なものでなく、心の
深みにみわざがなされ、心の底から変えられて行く。自分でどうに
も出来ない古い部分が変えられ、新たにされて行く。奇跡であり何
と嬉しい事だろう。

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今朝も、主の十字架のゆえに、「私は、キリストと共に十字架につ
けられました」と信じて歩むことのできる大きな恵みに感謝だ。弱
さのゆえに罪を犯してしまうが、悔い改め〃従って行く時に、赦さ
れ〃、新たに、新たにされて行く。何と感謝だろう。