2013年12月06日(金)

「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」ヤコブ4:2


欲望それ自体は悪ではない。食欲や睡眠欲が無ければ生存できない。知識欲ゆえ御言葉を知りたいと願い、意欲は生きる原動力だ。しかし反面、欲望は容易に罪に傾いて行く。欲しいと思い始めると、制御不能になり、何が何でも得たくなる。人と戦ってでも持とうとする、得るために人殺しまですると言っている。それほど欲望とは強烈だ。

しかし「あなたがたが願わない」とあるように、欲しいものがあるなら、神に願えと言われる。自力で奪い取るのでなく、神に求めよと。神が与えて下さる。「すべての良い贈り物は、上から来る」。そして、神と親しく交わり、祈りを積む中で、そのものが自分に本当に必要なのか、又、今、必要なのかがわかって来る。

神から離れたこの世では、人は欲望のままに生きる。「私たちもみな、かつては・・自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない」の通りに。しかし、祈りを重ねる主との交わりの中で、自分でもわからなかった、心の底の本当の願いや、本当に必要なものが、明らかにされる。

ある人は、進路について自分の強い願いがあった。しかし祈っていると、それは人からの賞賛が欲しくて、願っている事だと気づかされた。そして祈り続けていると、自分の本当の願いは、そうでなく、神に喜ばれる選択をしたいという事だとわかった。平安ある進路変更に導かれた。祈るなら、時に自分の思いと異なるが、必ず「良いもの」を下さる。
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欲しいものがあるなら神に求めよが私たちの原則だ。長い時間がかかると祈る気力が無くなるが、祈り求める中で、動機を聖められ、より確かなものとなって来る。気力をなくさず祈り続けよう。