2014年01月06日(月)

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します・・」マタイ6:34



ある人が、親を自宅介護していたが、認知症が進み、自宅ではもはや到底無理であり、医師からも周囲からも入院を勧められた。しかし本人の願いでもあったので、最後まで、家で介護する事にした。家族も認識できない状態となり、実際、介護は決して甘くはなかった。厳しい現実であり、火のような試練であった。朝毎に、主に助けを求めて、涙ながらに祈る日々だった。

祈らなければ、一日たりともおれなかった。主に拠りすがり、「あすのための心配は無用です」「あすのことはあすが心配します」の御言葉通り、明日はいっさい考えないで、主に委ねて、とにかく「今日」「この一日だけ」を考えた。この一日を過ごそうと、この一日だけを考え、一日〃を重ねて行った。結果的に、介護を全うできて、看取ることができた。

厳しい日々ではあったが、しかし、「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり」火の中、水の中に共におられる主を、まさに日ごとに体験させられた。一日一日が火の中、水の中であった。だが火の中でも、焼かれず、炎は燃えつかなかった。様々な具体的な助けが臨んで、御言葉の通りに、主によって助けられた。自分達だけでない事を、目に見えない主が、共におられる事を実感できた。試練と共に脱出の道を備えられる主は、主の臨在という恵みを与えて下さった。
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今日の心配が明日も続くと思う。そのネガティブな霧に心がふさがれる時、その先におられる主を仰ぎ祈ろう。主が盾となり守って下さっている。主と主の御約束だけを見ていよう。