2014年02月03日(月)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3 



              
ユオデヤとスントケは、共に主のために歩んでいたが、仲たがいしていた。そこで主に在って一致するようにと、パウロは言っている。一致を妨げるものが「自己中心」と「虚栄」だ。人は、自分に関係の無い事では、フェアで寛容でおれるが、いざ自分に直接関わって来るや、守りの態勢に入り、相手に攻撃的になってしまう。これは自己中心によるものだ。

又、誰かの言葉が、自分のプライドや体面に触れると、大変だ。
プライドでも傷つこうものなら、怒りを燃やし、相手を攻撃するか、内攻して執念深く恨み、敵対心を抱く。あなたの心に苦い思いが出て来たら、自己中心、虚栄心、プライドではないか、よく探ろう。苦い根をそのままにしてはならない。その根は心に巣くい、根を張り、はびこってしまう。

どんどん根は生長し、強い憎しみに増幅してしまう。すぐに主のもとへ行き、十字架の血潮できよめて頂こう。庭に、はびこる雑草を根から引き抜くように、罪の苦い根を、小さい内に、どんどん引き抜いて行こう。悔い改めにより、引き抜かれて行く。

何かのざらつく思い、心が暗く、重く、心に平安が失せた時には、すぐ御霊に照らして頂こう。主の御前に、自分の心の内を、気持ちをことごとくあるがまま打ち明けよう。自己中心や虚栄に気づかせて下さる。悔い改めて、悔い改めて歩む時、そのつど平安にされ、常に心新たに進んで行ける。
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苦い根に気づく時には、固執しているものは何か、主の前でさぐり、引き抜く作業に取りかかりたい。具体的な悔い改めの連続で、傲慢な者からへりくだりの歩みへと踏み出して行きたい。