2014年03月05日(水)

「ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから」Uサムエル16:11



シムイという男が、ダビデのウリヤ殺害の罪をののしり、ダビデに石を投げつけ、ダビデを呪った。「血まみれの男、よこしまな者」と。部下が「首をはねさせて下さい」と申し出たが、ダビデは「放っておけ、呪わせておけ」と。主が命じられたのだからと、部下に報復を許さなかった。

ダビデは、その罵りを神から来たものと受け取った。神からの懲らしめ、訓練と受け止め、甘んじて受けたのだ。「私の身から出た私の子さえ、私の命を狙っている」、シムイどころか、実子のアブシャロムすら自分に敵対して、歯向かっている。それゆえシムイの呪いも、神から出たものと受け入れた。敵対して来るシムイを見るのでなく、彼を置いておられる、神の主権を認め、その下に身を低くした。何とへりくだった心と態度だろう。神に委ねたのだ。

「今日の呪いに代えて、幸せを報いて下さる」、どんな悲惨な中でも、状況を変えようともがくのでなく、神の前に、正しい心でいるなら、それをも主が良い事のために計って下さる。ヨセフの「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らい」とされた通りだ。

相手の悪意すらも、あなたのために祝福と変えて下さる。状況に、即、感情で反応するのでなく、神を見て、状況を見る時、神の介在のもと、落ち着いて導かれて対応できる。神のお心にそって行く時、どんな苦しく辛い状況でも、心を主の平安で守って下さる。
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目の前から来ることは全て主からのものと、自分さえ裁かず主に委ねるダビデの信仰を学びたい。良い時に必ず報いて下さると、主の前からどんな時も離れないでいたい。