2014年04月04日(金)

「私の時は、御手の中にあります」詩篇31:15


私たちの人生に、「偶然」は無い。主に、行き当たりばったりはない。信仰人生に様々な事が起こるが、すべてが神が定められた最善の「時」に、深いご計画のもとに起きている。病気になる事も、けがをする事も、リストラや、経済的危機も、難しい対人関係も、目の前の出来事は、偶然起きているのではない。主の許しのもとに、ご計画の内にある。

「雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには、地に落ちることはない」の通りに。その見方に立ち、神視点の信仰に立つ時、受け取り方が変わって来る。そこに主を見て、主のわざを見るからだ。私たちは様々な「時」を通る。ある時は、大きな悲しみに会う。その時は、悲しくない振りをするのでなく、悲しみを無視するのでなく、ふたをして心に押し込めるのでなく、十分悲しむことが大切だ。

やがて、神の「時」が来て、自分が頑張るのでなく、「主が」微笑ませて下さる。「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある」。又、人を主に導こうとする時、この“時”が非常に重要だ。「黙っているのに時があり、話をするのに時がある」。

ある時は、機が熟するまで、じっと待つ必要がある。何もしない方が良い時と、又、必要な事をしなければならない時がある。祈りつつ、御霊の導きに従うことが大切だ。思い通りにならない「時」もある。そんな時は、じっと忍耐し、神の時が満ちるのを待とう。私たちには様々な「時」がある。状況でなく、そこに主を認め、主に従って行こう。
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神の時と自分の思いが噛み合わず、様々に苦しむのではないだろうか。動くべき時に立ち上がれず、待つべき時に座っていられない。いつもの自分ペースを捨て、いつも神を認めて生きたい。