2014年05月05日(月)

「・・『あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わせることがありましょう』イエスはその話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた『恐れないで、ただ信じていなさい』」マルコ5:36


「もうだめだ」「もう何もかも終わりだ」絶体絶命の状況を、私たちも経験するだろうか。ヤイロは危篤状態にある娘を、何とか助けていただきたくて、主のもとへ来て、必死の思いで懇願した。その願いに答えて、主が足を運んで下さる事になった。どんなに救われた思いになった事だろう。しかし、その途上に邪魔が入った。

突然長血の女性が現われて、主は彼女に対応された。ヤイロはどんなに焦った事だろう。一刻を争うのに、時間がとられて、どんなにやきもきした事だろう。もう瀬戸際だ。主が、目の前を女性を癒され、御声をかけておられた時に、使いが来て、娘が亡くなったと告げた。もう手遅れだ。今や先生に来てもらう必要は無くなったと。

その時、主は間髪を入れず「恐れないで、ただ信じていなさい」と御声をかけられた。手遅れではない、大丈夫だと。すべての「時」は主の御手の内にあり、完全な支配の中にある。「時」も「生死」も支配しておられるのは主だ。見えるところでなく「恐れるな」「ただ信ぜよ」との御言葉に立つ時、信じた通りになって行く。

そして、受け入れるべき言葉と、聞き流すべき言葉がある。「お嬢さんは亡くなった。もう先生は必要無い」の不信仰な言葉は、聞き流すべきだ。すべての言葉を、受け入れてはならない。肉の言葉、サタンの言葉、聞き流すべき言葉は、受け入れず、流そう。そして主の言葉を、心に握りしめていよう。
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サタンは私たちを弱め、力ない信仰者にして行く。「もうだめだ」を、でも主にあっては「できる」に変換して行こう。主の御言葉を信じ信仰に立っていよう。