2014年07月06日(日) 「・・しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてくだ さい」ルカ22:42
「・・しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてくだ さい」ルカ22:42
主は「求めなさい。そうすれば与えられます」と、祈れと言われる。 祈りを喜んで下さる。そして、どんな小さな祈りも聞いていて下さ る。ただ時に、私たちの思いと、神のみ思いが大きく異なる。「わ たしの思いは、あなたがたの思いと異なり・・わたしの思いは、あな たがたの思いよりも高い」主のみ思いは遙かに高く深い。 私たちには、自分の願望があり、願いの通りに叶えて欲しい。しか し、主のみ思いは異なる。例えば、もし、生まれつきの障がいがあ れば、障がいがいやされる事が、祈りの答えだと思ってしまう。し かし、もし、障がいがそのままでも、喜びと平安に満たされ、感謝 に溢れて、生き生きと生きるようにされる、それが答えであるかも 知れない。 祈りが聞かれるとは、自分の願い通りになる事とは限らない。ある 人が、自分には不都合な状態であり、厳しい状態だが、でも、「も しこのままの方が主の栄光が現れるなら、このままで良いです、御 心のままに」と祈った。結局は、私たちの状態がどうであれ、私た ちの目標は、神の栄光が現れることだ。 パウロは、トゲが取り去られるよう真剣に熱心に祈ったが、主は、 それがある方が、より栄光が現れると言われた。ある人はトゲが取 り去られ、ある人は残される。どちらも結局は、神の栄光のためだ。 主が自分に量って与えて下さるものを受け入れよう。そこに平安と 喜びがある。 ・・・・・・・・・・・ しばしば自分の思いと、主のみ思いが異なることを経験する。自分 が思う良い事と、主の御心がずれてしまう。しかし、とにかく祈り 続けて行く時に、自分の心のずれを示され、教えられ、導かれて行 く。自分の思いから主の御心へと導かれ、変えられて行く。