2014年10月06日(月)

「しかし、我に帰ったとき彼は、こう言った。・・立って父のところに行って、こう言おう。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました・・』」ルカ16:17


弟息子は、父の財産を持ち、自由を求めて、遠国へと旅立った。し
かし、自由と放縦をはき違えていた。気ままに、好き放題をし、放
とうに身を持ち崩し、湯水のごとく財産を使い尽くしてしまった。
折しも大ききんが起こり、食べ物が無くなってしまった。饑餓状態
に陥るが、「だれひとり彼に与えようとはしなかった」。

お金のある時には、群がっていた人々も、皆去り、誰一人として気
にかけてくれる者もいなかった。饑餓の上に、孤独、虚しさ、落ち
ぶれた惨めさ、とうとう限界に来た時に、我に返った。神の方に向
いた。神に逆らう自己中心の歩みから向きを変えた。彼が回心でき
たのは、何もかもを、すべてを失った時だった。頼るものが何も無
くなった。

まだ財産が残っている間は、頼るものがあるので、自分の力でやっ
て行く。すべてを失った時は、恵みの時だ。私たちも、財産がまだ
ある間は、自分の力で出来る時は、自分の力に頼って、神に頼らな
い、頼ることができない。だからこそ「心の貧しい者は幸いです」。

自分が何もできない、自分はだめだ、何もかもおしまいだ、どん底
だと思う時こそが、実は大きな祝福だ。そこでこそ、真に主に叫び、
真に頼れる。今、もし何もできない、だめだと思っているなら、喜
ぼう。今こそ主に頼れる、恵みの時だ。
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主に頼るしかないときは、一息ごとに祈り、主の答えを待ち望む。
渦中ではわからないが主の最も近くにいる幸いなときだ。主の備え
はいつも注がれている。貧しき者と主に頼り、今日も生きたい。