2015年01月06日(火)

「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない・・しかし、私は主にあって喜び勇み・・」ハバクク3:17 


ラッキーな時、ハピーな時は、誰でも嬉しい。受験合格、昇進、大
豊作、祝い事・・信仰が無くとも、誰でも喜べる。だがハバククが
喜んだのは、大豊作では無かった。いちじくの木は花を咲かせず、
ぶどうの木も、オリーブの木も実が無く、畑は何の収穫も無い。羊
も牛も絶えてしまった。周囲は、完全な絶望状態であった。

失望落胆、悲しみ、嘆き、落ち込み、無気力になりそうな状況のま
っただ中で、なぜ喜べたのか。「主にあって」「救いの神にあって」
とあるように、環境、状況によって喜んだのでなく、「神にあって」
喜んだのだ。ハバククの信仰だ。同様に私達も、現状が何の希望も
持てない、絶望状態で真っ暗であり、今後も真っ暗であったとして
も、信仰によって、喜ぶことができる。

現状でなく、神に焦点を当て続けよう。神はどんなお方かよく考え
よう。万事益とされる、災いは無く、平安と将来と希望のご計画を
持っておられる。すでにしようとしている事をご存じだ。ご自分の
ひとり子をさえ与えて下さったお方、良くして下さらないわけがな
い。

状況を信じるのでなく、神を信じよう。「心を騒がせてはなりませ
ん。神を信じ、またわたしを信じなさい」状況から目を転じて「御
言葉」を反すうし、見続けよう。御言葉には霊といのちと力がある。
御言葉により、恐れが平安に変わる。「あなたの御前には喜びが満
ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります」この喜びを下
さる。
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状況はどうであれ主は何と言われているのか、信じて御言葉に立と
う。それが状況の中での平安になる。「しかし、私は主にあって喜
び」と言える者になろう。