2015年03月06日(金)

「しかし、私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました」詩篇73:23




詩篇の記者は、悪者が富を増し、安らかそうであり、栄えるのを見
て、落ち込んだ。彼らは楽しそうで、豊かで肥え太っていて、あぶ
らぎっていて、何の苦しみのなさそうだ。それに引き換え、神を信
じている自分は惨めで、苦しみばかりで、何のよい事もない。この
足はたわみそうで、歩みは滑るばかりだと。どうして神を信じない
者が栄えるのかと。

しかし、それは「私が誇り高ぶる者を妬んだ」自らの妬みから来て
いた。そして、その妬みは、人との比較の中にいるから起きるので
あり、神を見上げるのではなく、人を見ていた。信仰生活で、平安
や喜びが失せるのは、状況の問題ではなく、神以外のものを見て、
心が占められ、神以外のものが第一になっているからだ。

その底に、富への欲や、人からの賞賛を求め、それを愛する心があ
る。それが人への羨望、妬みとなって出る。それは、神に焦点が合
っていないからであり、その結果、様々な不平不満や愚痴、イラ立
ちでいっぱいになる。心に喜びがなく、虚しい。しかし、彼は聖所
に入った時に、光が臨んだ。心がすさみ、悶々状態の原因は、目の
前の状況ではなく、神と自分の関係にあると悟った。

神から離れているから、心に喜びと平安が無いのだと。今、平安が
無いなら、目の前の問題のせいと思うかも知れないが、それは関係
が無い。心が、神以外に向いていないか。逆に、どんな困難な中で
も、神との親しい交わりにいるなら、心は不思議な平安に守られる。
------------
主から離れこの世を見るなら、すぐに「愚かで、わきまえもなく・
・」と反応してしまう。心に境界線を引き、「それがあなたに何の
かかわりがありますか・・」と言われる主を見続けたい。