2015年05月06日(水)

「だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神はあなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」マタイ6:8 



主は「御父は、お願いする先に、必要なものをすでにご存じ」と言
われた。御父がご存じであれば、祈る必要が無いのではないのか。
何のために祈るのか。これは異邦人のように、同じ言葉を繰り返し、
言葉数が多ければ良いとの態度が違うと言っている。

祈り倒さんばかりの勢いで、言葉が多いのが勝ちなのではない。言
葉数の順に聞かれるのではない。だから言葉の繰り返しは無益だ。
この世の宗教はそうかも知れない。しかし御父はすでに必要も状況
も何もかもをご存じであり、知らない相手に対するごとく、くどく
ど説明する必要もない。しかし、神は次の節で「だから祈りなさい」
と言われた。

だから祈る必要ないのでなく「祈りなさい」と。祈りは御父との交
わりだ。子供に「一生涯すべての必要を保障するから、いっさい語
るな、何も言うな」と言う親はいない。親は子供の語る言葉を聞き、
対話したい。それは親は子供を愛しているので、喜びで楽しみであ
るからだ。御父はあなたの声を聞きたいと待っておられる。

又、神は必要をご存じだが、私たちが自分で自分を知らない。真に
必要な物をわかっていない。的はずれに求め、まともだと思ってい
る。自分の欲のために求めて気づかない。祈りの中で、主はそれら
を軌道修正し、正しく導き、あなた自身を変えて下さる。御心へと
導かれた祈りは、必ず答えられることになる。
--------------
肉の強い思いが大水のように襲ってきても、主に祈り交わるうちに、
せき止められ不思議に落ち着いていく。人格を持って接してくださ
る主が今日も新たな恵みを教えてくれる。