2015年07月05日(日) 「多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。 しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった」ヨハネ 2:23
「多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。 しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった」ヨハネ 2:23
主の奇跡を見た多くの人々が、驚き、主を信じた。しかし、主はご 自身をお任せにならなかった、とある。任せるとは、信用する、委 ねる、心を与えるという意味だ。最初の奇跡をカナで行なわれ、以 後、数々の奇跡をされた。それらを見た人々は主を信じた。しかし、 主は奇跡を見て信じた人々に、ご自分を委ねられなかった。 主は人の心をよくご存じであった。奇跡により心動かされ信じても、 その感動は一時的なものに過ぎず、感情は必ず冷める。奇跡だけを 求めるなら、試練の時に必ずつまずき、離れる。土の薄い岩地に落 ちた種は、土が薄いのですぐに芽が出たが、試練が来ると枯れてし まった。 御言葉を聞いて感動の涙を流して信じるが、都合の悪い事態が生じ ると身を引く。軸が自分にあり、自分が中心なので、自分に得るも のが無いなら離れて行く。主は奇跡をされた時、御言葉によって行 なわれた。主の口から語られる一つ一つの言葉によって、みわざが 成された。しかし人々は奇跡の方に夢中になる。 出エジプトを経験したイスラエルは、あれほどの神の超自然を見た にかかわらず、すぐに荒野でつぶやいた。荒野で奇跡を見続けたの に、結局、不信仰により滅んでしまった。主を信じるとは、主が語 られた御言葉を信じることだ。御霊により語られた言葉を心に信じ 受け入れ、そして御言葉に従う時、信仰が確かなものとされて行く。 ・・・・・・・・・・・・ 状況が良ければ、愛されていると思い、主を信じる。しかし状況が 悪くなると、愛されていないと思い、主を離れる。目に見えるとこ ろによって左右されるのでなく、状況がどうであろうと、御言葉を 信じて行くところに信仰がある。