2015年12月06日(日) 「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありも しないことで悪口雑言言われたりするとき、あなたがたは幸いで す」マタイ5:11
「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありも しないことで悪口雑言言われたりするとき、あなたがたは幸いで す」マタイ5:11
クリスチャンは、クリスチャンゆえの試練があり、苦しみを受ける。 しかし自分の至らなさゆえ、欠点ゆえに問題を起こし、周囲に迷惑 をかけ苦しみを招くなら、これは信仰ゆえの苦難ではない。信仰以 前の問題だ。誰でも、礼儀に反する事をするなら嫌われるし、問題 が起きる。 しかしそうでなく、クリスチャンという事で苦しみを受ける事があ る。迫害されたり、笑われたり、嘲られたり、不当な苦しみを受け る。「そしりと苦しみを受け、捕らえられ、財産が奪われ」・・今の 時代なら、信仰ゆえに悪口を言われ、辛く当たられ、馬鹿にされ、 村八分にされる。 「ありもしないことで」、身に覚えのない事でと言われる、それは 不当な、理不尽な苦しみだ。しかしそれがキリストゆえの苦しみな ら、恥じる事はない。むしろこの事のゆえに喜べと、そして神をあ がめるようにと。「喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてう ける報いは大きいのだから」と。 その人は、たとえ主のために迫害され、辱めを受け、攻撃されたと しても、主との個人的な関係があるので、幸せな人だ。迫害や苦し みの中にあっても喜びおどる人々だ。自分の内に喜びが与えられて いるからだ。どんなに自分が罪深いかを知り、その罪が完全に赦さ れている事を知っている。 どんな愛で愛されているかを知っていて、いかに苦しい時にも、共 におられることを知っている。そして、天において大きな報いがあ り、その大きな報いを期待せよと。それだから迫害の苦難に意気消 沈するのでなく、「喜び、喜びおどれ」と。 ・・・・・・・・・・・・ 自分の愚かさゆえでなく、確かに信仰ゆえにの苦しみがある。理不 尽な目に会ったり、悲しい思いをしたり・・。その時に、どうしても 陥ってしまうのが、心が沈むことだ。だから、主はそんな時こそ、 喜びおどれと。神視点に立てと。主と御言葉に浸ろう。