2016年01月06日(水)

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべての中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」ローマ8:37


信仰生活で、試練に会う時、窮地に陥る時、何とか早く目の前の問
題をどうにかして欲しい一心となる。これをこうして、あれをああ
してと自分の思いがあり、祈る。願いを主に告げるのは良いが、目
の前に来る問題は、主の目的と意図がある。それゆえ、この問題を
通して、主ご自身を知り、更に深く主の愛を、知れるようにと祈ろ
う。

実際、神の愛に触れる時、どんなに苦しい中でも、どんなに困難な
状況でも勝利して行ける。ある人は、対人関係の悩みの時に、深く
取り扱われたと証しした。この問題は主から来ていて、自分のため
の取り扱いだと、模範的クリスチャンのように、建前は言いながら
も、心の奥では、怒りがおさまらず、受け入れられずに反抗してい
る自分。

自分には間違いが無い、自分は正しいと思っている。そのため心で
は相手を見下し、裁いている。そして自分を正当化し、相手のせい
にし、自分の義に立つ自分。しかしそれらに全く気づかなかった。
しかし祈り続ける中で、主はあわれみ、自らの本当の姿を見せられ
た。何と罪深い自分。

その時、「彼らは何をしているのかわからないのですから」と、主
の赦しの大きな愛に触れ、主の十字架の意味が新たに目の前に迫り
来た。一つ一つの目の前の悩み、問題、苦しみは、主の愛を新たに
知れる機会だ。今、目の前に悩みがあるなら、その事を通して、主
を愛を新たに知れるよう祈ろう。
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年末には沢山のお励ましメールを有難うございました。おひとつ、
おひとつに大変励まされました。今年もどうぞよろしくお願いいた
します。祝福の祈りを込めて、配信させていただきます。