2016年04月05日(火)

「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた」エレミヤ31:3



人間には、良い人に見られたい、嫌われたくないという根深い思い
がある。主に出会う前は、それだけで生きて来た。人前を繕って、
良い人の演技をする。なぜ演技するのだろう。本当の自分を出せば、
嫌われる、人が離れて行くと思っている。私たちの心の奥底は、誰
しも愛されたい。「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」の通
り、愛を求めている。

エデンで、アダムとエバは罪を犯した結果、霊的に死に、神から離
れてしまった。神との交わりが失せたため、目に見える人の愛を求
めるようになった。新生したクリスチャンもまた、根深い肉の性質
があるため、人に愛されたい、受け入れられたい思いが強く、人前
を繕ってしまう。

しかし主は、私たちをあるがまま、丸ごと受け入れて下さっている。
神ではなく、この世を求め、自分の力を誇り、自分勝手・・しかし
何もかもすべてわかった上での愛だ。だがこの愛を信じようとしな
いなら、主の前にも距離を作る。主にすら本当の自分を隠して繕っ
てしまう。主を避けて、隠れる事になる。十字架の血潮でなく、自
分で少しはましになって御前に出ようとする。

主がアダムに「あなたはどこにいるのか」との通り、その立ち位置
が間違っている。「わたしはあなたを愛している」。問題はこの神
の愛を信じられない事だ。だから繕う。その心は寂しい。感じよう
と感じまいと、まず御言葉を信じて行こう。「感謝します」と受け
取って行こう。
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御神の永遠の愛の全てを知ることはできない。それゆえただ、ただ
感謝して信じていくだけだ。主のもとに愛がある。ありのままを愛
してくださり、疲れても失敗しても再び建て直してくださる。