2016年05月06日(金)

「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」ハバクク2:3



ハバククは懸命に祈る。「いつまで聞いて下さらないのか。救って
下さらないのか。ながめておられるのか」、闘争があり、裁きが曲
げられていると。その背景はユダのヨシヤ王は主に従おうと、偶像
礼拝を断ち切り、次々宗教改革を行なった。イスラエルはすでにア
ッシリヤに滅ぼされ、南ユダはアッシリアとエジプトに挟まれてい
た。

そんな時、エジプトがアッシリアに戦いを挑むが、ユダを通らねば
ならない。ユダとは戦う気は無かったが、ヨシヤ王はエジプトを迎
撃し、戦死してしまう。あれほどの信仰深い王が、あえなく死んだ
事に、なぜ、どうしてとハバククは混乱し大きく動揺する。そして
主は、強暴なバビロンを起こすと言われる。

ハバククは、悪者が正しい者を飲み込む時、なぜ黙っておられるの
かと訴える。彼は真剣に問い祈り続けた。「私は見張り所に立ち・
・主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう」と。主は
答えられた。「おそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅
れることはない」。神の時は、私たちの時と違う。

私たちは、遅い、何も動かない、いつまで待つのかと焦る。しかし
神にとっては、遅れていない。それは必ず神のタイミングで来る。
だから待てと。そして「正しい人はその信仰によって生きる」。
見えるところではなく「信仰によって生きよ。わたしを信じてつい
て来よ」と。

私たちもそうだろうか。目の前の問題に「いつまでですか」との問
いに「おそくなっても待て。必ず来る。遅れることはない」「信仰
によって生きよ」と言われている。
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動かない事態の前では、行き詰まり、やがて諦めとなるが、つぶや
かず主の時を待てるよう、信仰が弱らぬよう祈ろう。今は見えない
その時を「しかし、私は主にあって喜び勇み」待とう。