2016年08月06日(土)

「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与 える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」ヨハネ 4:13



人は、何が幸せだと思っているだろう。だいたいが、自分の願いが
叶うこと、自分の欲望が満たされる事ではないだろうか。欲しくて
たまらない物を手に入れたなら、満足し、喜びに溢れると思ってい
る。そのため、自らの欲望を満たそうと必死になる。幸せが欲しい
からだ。しかし残念ながら決してそうではない。肉の欲望を満たす
と、一瞬の快楽はあるが、その後、ますます心は渇く。

人々が心の満たしを求めて、次から次へと目新しいものを求めて、
さまようのはそのためだ。しかし、欲しいものを手に入れて、心は
やせ衰える。虚しくなる。サマリヤの女性は、5回の結婚と離婚を
繰り返し、同棲中だった。彼女は男性が自分を幸せにし、心を満た
してくれると信じていた。そのために結婚を繰り返した。

形は、皆、違うが、私たちもどうだろう。富が、愛する人が、名誉
が、地位が、仕事が・・自分を幸せにし、夢を実現し、心の満足を与
えてくれると思っているだろうか。私たちの心には、神のかたちを
した空洞があり、それは神のかたちであって、神以外の何を埋めて
も、心が埋まることは無い。だから真の満たしを得ることはない。

その空洞は、神のかたちであるため、自分自身を明け渡して、神を
心の王座にお迎えした時に初めて、心がピッタリと埋まり、喜びが
満ちることになる。私たちの幸せは、神から来る。それ以外の何も
のでもない。心が別のものに向いているなら、神に向き直そう。そ
して、神にますます近くいる事を求めて行こう。そこから真の幸せ
が来る。

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次々と求める時には、その心の奥に満たされない思いがある。心の
虚しさがある。「渇く者は来なさい」と言われる主のもとに行こう。
欲望は満たされても、またすぐ渇く。心の奥が満たされる事はない。
主のもとへ行く時、渇きが止む。主の愛が渇きを止める。