2016年09月05日(月)

「私はキリストではなく、その前に遣わされた者である・・」ヨハネ3:28 



ユダヤ人たちが、祭司やレビ人を遣わし、ヨハネに「あなたはどな
たか」と尋ねさせた。その時に、ヨハネは「私はキリストではあり
ません」とはっきり答えた。「私のあとから来る人があり、その方
は私にまさる方」と。そして、自分はその方のくつのひもを解く値
打ちもないと。

徹底してへりくだり、自分はイザヤが言ったように“主の道をまっ
すぐにせよと、荒野で叫ぶ者の声”だと、自分の使命をはっきりと
理解し、わきまえていた。当時のヨハネの聖い真っ直ぐな大胆な姿
に、もしかしてキリストかも知れないと思った人々もいたようだし。
しかし、ヨハネはきっぱりと違うと否定した。

人々から自分が良いように見られる時、誘惑があるものだが、ヨハ
ネは真実であった。ヨハネの弟子たちが、皆が、自分の師から離れ
て、主の方へ行ってしまうことに、寂しさとやっかみを感じていた。
「みなあの方のほうへ行きます」と。その時も、「人は、天から与
えられるのでなければ、何も受けることはできない」と。花婿が主
役で、自分はその花婿の友人であり、そして自分も喜びに満たされ
ていると。

そして、「あの方は盛んになり私は衰えなければならない」と。
花婿に焦点を向け、自分の立場、使命を明確にわきまえていたので、
ネガティブな感情に流される事から守られた。ヨハネは信仰に立っ
ていた。主もヨハネを認めておられた。自らの立場、使命を認め、
御心の中にいる時、心は平安と喜びに満たされる。
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神から与えられた自分の立場をわきまえ謙遜に歩み続けるのは難し
い。横を見ればすぐにアップダウンだ。天から与えられるものでな
ければ真の満足は無いと、とこしえに変わらない神と御言葉に留ま
っていよう。