2017年02月03日(金)

「しかし、彼らは、『私たちの知ったことか。自分で始末することだ。』と言った」マタイ27:4


ペテロもイスカリオテのユダも、どちらも主を裏切ってしまった。
しかもペテロは三度も主を否み、呪いをかけてまで。どちらも同じ
ように裏切ったが、最後は大きく違った。ペテロは赦しを受け取り、
主により回復させられ、主の昇天後、諸教会のリーダーとして活躍
した。

片や、ユダは、主を銀貨三〇枚で売り、「罪のない人の血を売った」
と後悔し、祭司長、長老たちのもとへ行った。その銀貨を返したが、
「私たちの知ったことか」と言われて、首をつってしまった。ペテ
ロとユダ、何と違ってしまった事だろう。ペテロは裏切った時に、
主に向き、主の言葉に向いた。その時、主の言葉に思い当たり、
号泣した。

マリヤの主の亡きがらが無いとの知らせに、走って墓まで行った。
ガリヤラへ行くようにとの主の指示に、合わせる顔もない中、しか
しガリラヤへ行った。ユダは後悔した時に、主のもとへ行かず、律
法学者のもとへ行った。主を求めず、主に頼らず、自分で決着をつ
けてしまった。「自分で始末することだ」これはサタンの攻撃であ
り、誘惑だ。主に頼らせない。

私たちにも来る。自分で何とかしなければ・・。失敗してしまった
時に、自分で、自分の力で・・。その時、担いきれない重荷に押し
つぶされてしまう。絶望感に襲われる。そうでなく「わたしのとこ
ろに来なさい」と絶えず招いて下さっている主もとへ、まず行こう。
罪の赦しがあり、回復があり、解決がある。平安へと導かれる。
--------------
失敗や挫折の中に主を見失ってしまえばどれ程の暗やみだろう。こ
の世の悲しみは死をもたらすの通りだ。自分の小さなプライドを捨
て、心配しておられる主の元へ行こう。