2017年03月06日(月) 「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました」マルコ12:43
「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました」マルコ12:43
主が献金箱に向かって座り、金を投げ入れる様子を見ておられた。 金持ちたちが次々と大金を投げ入れていた。そこに貧しいやもめが 来て、レプタ二つを入れた。極めて僅かなお金だ。しかし主は、こ の女性がどの金持ちよりも沢山献げたと言われた。皆は有り余る中 から献げたが、彼女はあるだけ全部を献げたからと。 彼女はレプタを二つ持っており、その内の一つを献げても良かった。 もう一つで何かを買えたかも知れない。しかし、彼女の溢れる出る 主への感謝は、すべてを献げる行為となった。献金とは献身だ。そ れは自分自身のすべてを主に委ねることであり、主は明日からの必 要も与えて下さる事を信じたゆえだった。 主はその信仰を見られ、受け取られた。この世界では、まず自分が 第一だ。何より自分が大切で、しっかり自分を守り、自分のために 確保する。それだけでは心配なので偶像を信心する。自分を第一に し、金持ちのように有り余る中から少しは献げる。しかし、私たち も、同じこの世の価値観にあるかも知れない。 神第一と言われるが、まず第一は自分で、自分を守ろうとする。そ のため、どこまで行っても不安は尽きず、常に思い煩いは絶えず、 平安がない。自分で何とかしようとするので、すべてが自分の肩に かかり、重荷に思い煩うばかりだ。まず神を第一にして行く時、秩 序が正され、すべての必要は備えられ、そして心は思い煩いから守 られる。 ------------ 主の豊かな富も祝福もどれ程期待して献げているだろう。献げるお 方が全て支えてくださるとの信仰に立ちたい。レプタ一つを自分の 手に残す信仰ではないのか、明日のための思い煩いも主の手の中に お渡ししたい。