2001年01月04日(木)

『あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい』  (ヨシュア24:15)

 人は誰でも、自分の好きなようにしたいものだ。したい事を自由にして生きたい。制約のある環境を打ち破りたいと思う。
しかし、完全な自由は、絶対に手に入らない。気づいていないかも知れないが、私達は生まれつき何かに仕えている。
アマゾンの奴隷を造るアリの話がある。
何百というアリが周期的に巣から出て、近くのより弱いアリの集団を捕まえる。抵抗する防御アリを殺した後で、働きアリの幼虫が入っている繭を運び出す。この捕らえられた子達は孵化すると、自分たちはこの群れの一群なのだと思いこみ与えられた仕事をし始める。決して的による強制労働の犠牲者などとは思わない。
生まれた時から捕らえられているのと同様に、私達は罪と悪魔のとりことなっている世界に生まれている。
私達は皆仕えている。ヨシュアが言ったように、私達は仕えるかどうかではなく、誰に仕えるかなのだ。
真の自由はキリストの内にある。