2017年10月06日(金) 「サウルは言った。『私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民と長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください』」Tサムエル15:30
「サウルは言った。『私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民と長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください』」Tサムエル15:30
サウルは、アマレクとの戦いで「すべてのものを聖絶せよ」との主 の命令を受けた。しかしどうでもよいものだけを聖絶し、最も良い ものを惜しみ、残した。サウルが主の言葉に従わず、主の言葉を退 けたので、主もサウルを王位から退けられた。サウルは、罪により 主との関係が絶たれてしまった。 その時にサウルは「罪を犯しました、しかし私の面目を立てて下さ い」と言った。が、これは罪の悔い改めではない。外面、自分の体 裁、体面を守るためのもので、悔い改めではなかった。私たちも、 罪とは人前で体面を失う事と考えていないだろうか。それなら人前 で面目を保てば良しとなる。何の問題もなくなる。 だが、そうでなく、人は全く関係なく、罪とは、まず神と自分の間 のことだ。その後、サウルはペリシテとの戦いで、主に伺いを立て たが、主は何も答えられなかった。それでサウルは霊媒へと向かっ た。まず主との関係が大切で、その修復がなく、悔い改めが無いの に、伺いを立てても、答えが無いのは当然だ。 神との関係が何よりも肝心だ。ダビデは、姦淫と殺人という重罪を 犯したが、「私は主に対して罪を犯した」と、主に心底悔い改めた。 ダビデが罪を犯したのは人に対してであった、直接的には人であっ たが、実は、主に対する罪であった。同様に、人を憎む時、妬む時、 主に対して罪を犯している。悔い改めにより、神との関係は回復さ れる。今、あなたと神との関係はどうだろう。 -------------- サウルの愚かな高慢に学べる。神と自分との間に何も置かず、真っ 直ぐに向き合えることが何より大切だ。聞きたい御言葉を選別して 悔い改めの導きを逃してないだろうか。