2018年06月05日(火)

「彼は主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ」民数記22:31


有名な、ろばが喋る箇所だ。神はバラムに「彼らと一緒に行っては
ならない。その民を呪ってもいけない。祝福されているからだ」と
言われた。にもかかわらず、出て行くバラムの前に主の使いが抜き
身の剣を手に持って、立ちはだかった。ろばはうずくまってしまい、
バラムは杖でろばを打った。

するとろばがバラムに、何で打つのかと喋った。だが主の使いがバ
ラムに、敵対して出て来たのは、わたしだと言った。あなたの道が
わたしと反対に向いていたからと。私たちは誰しも、痛い事、苦し
い事、問題は回避したい。苦しみや悩みが、好きな人などいない。
そのため、痛くて辛い事態を、避けて、何とか逃れたいと思う。

しかし、神は、私たちが間違った方向へ進まないために、行く手に
あえて障害物を置かれる。私たちを立ち止まらせるためだ。運が悪
かったのでなく、たまたまそうなったのではなく、神の取り扱いだ。
不運なのではない、又、立ちはだかっている相手を責めるのではな
く、神の取り扱いを認めることだ。

その状況の中で、神のメッセージを受け取ろう。何を教えたいのか、
何に気づかせたいのか。今、あなたの行く手が阻まれているなら、
状況ではなく、まずそこに神を認めよう。神が立ちはだかっておら
れる。その道は御心とは違うのかも知れない。又、押し通そうとし
ている事は間違っているのかも知れない。

何かを教えたいと思っておられる。目の前の状況に神を認め、自分
の思いを置いて、神の御心を求めよう。祈りの中で、必ず正しい道、
御心の道に、軌道修正しながら導いて下さる。 
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押し通そうとするなら神はあえて「行きなさい」と言われる。御心
と思っても祝福がなく混乱が続いているなら自分でこじ開けている
のではないかと御神に尋ねてみよう。