2018年10月05日(金) 「私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ・・私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう」民数記13:32
「私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ・・私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう」民数記13:32
「心配」とは、主を信頼せずに、問題を自分が取り込む事だ。そこ に主を信じる信仰が飛んでしまっている。問題を自分が抱え込むの で、ずっしりとすべてが自分の肩にかかる事になる。そして来る日 も、来る日も、繰り返し繰り返し、問題への不安と思い煩いを反す うし、問題を心の中で、ますます大きく強固なものにし、モンスタ ーにして行くことだ。 毎日毎日繰り返していたら、ますますその事に心が奪われ、とりつ かれ、身動きできないものになる。自分で問題を巨大にする。いつ しかその問題は、自分を「食い尽くす地」「背の高い巨人」「自分 はいなご」となってしまう。 又、憎しみや妬みも同様だ。それを主のもとへ持って行かないなら、 御言葉を信じ、信仰を働かせないなら、憎悪と嫉妬は、毎日毎日繰 り返す事により、どんどん膨らみ、大きくなり、自分で成長させ培 って行ってしまう。そのような状態だろうか。問題を心の中で繰り 返し反すうするのでなく、御言葉を繰り返し、繰り返し反すうすべ きだ。 御言葉を「口から離さず、昼も夜も口ずさむ」なら「すべてのこと を守り行なう」ことができる。そして「あなたのすることで繁栄し、 栄えることができる」。問題をずっと見続けている事に気づくなら、 問題でなく御言葉に目を転じ、御言葉を見続けよう。その問題は 「私たちのえじきとなる」「主がともにおられる。恐れるな」「上 って行って占領しよう。必ずできる」主は指針を与え導いて下さる。 -------------- 思い煩う時は、気づかないうちに問題の前でじっと立ち止まってし しまっている。委ねるとはもっと積極的な行為だ。主に渡そう。繰 り返し、繰り返し、御言葉を思い起こそう。必ずできる。