2018年12月06日(木) 「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」詩篇119:59
「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」詩篇119:59
神に従うためには、御心に従おうとの意志を向けること、意識的な 選択が必要だ。オートマチックで従えるのはなく、身体が勝手に動 くのではない。没人格、没個性になるのではないし、夢遊病者かの ように、意識せず従って行くのではない。意識して、御霊の導きの 方を選択し、御霊に拠り頼んで行かなくてはならない。 主に拠り頼む必要がある。神が、私たちを操って従わせられるので はない。それなら操り人形であり、ロボットだ。また、私たちの意 志を無視して、神が代わりにされることもない。詩編記者は自分の 道を顧みて、主の御心の方向に「足を向け」た。祈り続けていたの でなく、足を向けて、実際に行動した。 私たちも御心と違う方向に向いていたなら、今、主の御心の方へと、 自分の足を向けよう。何かの示しを受け、従うように導かれている なら、決心して実行しよう。「急いで、ためらわずに」とあるよう に、ぐずぐずしていると、気力が失せて、必ず従えなくなってしま う。経験あるだろうか。御心を行なおうとする時には、サタンが来 る。妨げが来る。 「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行なえ」とあるが、つぶ やきや疑いが心に上る。「何で自分がしなければならないのか」 「しなくても良いのでは?」「今でなくても良いのでは、もっと後 で」ちゅうちょする思いが出て来る。なすべき事は「急いで、ため らわずに」実行する事が大切だ。示されているなら、一歩踏み出そ う。 ------------- いつも自分の歩みが御心を離れていないか顧みてみよう。主のさと しの中にいることが祝福だ。つぶやきや疑い、心に来る苦い思いか ら主へと引き戻してくれる御言葉と日々親しく交わろう。