2019年01月06日(日)

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのこ とばによる」マタイ4:4


悪魔は、荒野で主を襲った。主は40日の断食を終え、まさに限界ギ
リギリの空腹状態だ。その主に、神の子で何でも出来るのだから、
目の前の石をパンに変えて、パンを自分で作ればと誘惑して来た。
「このままでは確実に死ぬ、神はパンを与えてくれないのではない
の?」との疑いを吹き込む。「神に頼っていたら、らちがあかない
のでは」「この場合は自分で何とかした方がいい。さもないと生死
に関わるよ。使命が果たせないよと」と。

「死んだら、人類の救いも元も子も無いではないか」「とにかく命
を保つことが大切」と。あなたにもこんな誘惑がないか。「神に頼
っていたら、らちがあかないよ。祈りなんて時間がかかるし、さっ
さと自分でしてしまえば。すぐ出来るよ。それでうまく行けばいい
じゃない」「自分でやった方が早いよ。御心にかなった事なんだし。
問題無いよ」。

それこそ、ここで死ねば、元も子もない。人類の救いという自分の
使命はどうなるのか。どうあってもパンを食べて、とにかくは生き
延びねば。神に頼り続けるなら、あたかも餓死するかのように錯覚
させる。「自分で調達すれば?」神のためなんだからと、自分の判
断で動き、自分の力で事を行なうように仕向けて来る。

サタンの巧妙な誘惑だ。どこまでも神の言葉の下に自分を置いて、
従うことが信仰だ。神はパンを与えて下さる。パンが命を造るので
なく、神の言葉が命を造る。神への信頼を崩そうと攻撃して来る、
サタンをわきまえて、祈っていよう。

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サタンは私たちに、自分の思い、自分の判断で動くように仕向けて
来る。特にせっぱ詰まった時に、顕著だ。何とかしなければと、焦
ってしまい、主と御言葉が飛んでしまう。とにかく主を仰ごう。主
を呼ぼう。主に目を向けるなら守られる。いつも経験する事だ。