2019年02月03日(日) 「ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられ た」マルコ4:38
「ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられ た」マルコ4:38
ガリラヤ湖はすり鉢状で周囲は山に囲まれているため、突如の嵐が 発生する。この日、主は「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われ、弟 子たちは、その言葉に従い舟を出した。主はかなりの疲労のため、 乗り込んですぐに熟睡された。 そんな時に、突如の嵐が起きた。凄まじい突風で、大きな波をかぶ り、舟は水で一杯になった。今にも浸水し転覆しそうだ。嵐にも慣 れているはずのプロ漁師ですら、恐れて慌て、身の危険を感じパニ ックになった。 しかし、主はと言えば、この大騒動の中、熟睡しておられた。大嵐 にいっさい動じる事もなく。弟子たちは、舟に主がおられるのに、 恐怖でパニックだ。嵐に、状況に、飲み込まれてしまい、主を前に 置いて、右往左往だ。だが、主の舟が沈む事など有り得ない。沈む 事など不可能だ。そして向こう岸に渡ると言われている。 舟が沈むと恐れて怯えているのは、私たちの姿だろうか。嵐に、厳 しい試練に会うと、何もかもがだめになってしまうように思って しまう。自分の一生はだめになる、仕事はだめになる、家庭はもう だめだ、子供がだめになる・・。恐怖でしかない。しかし主の乗って おられる舟が、沈む事など有り得ない。 「どうしてそんなに恐がるのか、信仰が無いのはどうしたことか」 と。主は、私たちの人生、同船して下さっている。その主を信じる ことを、信仰を求めておられる。恐れている事をそのまま言い表し て、信仰が与えられるよう祈って行こう。 ・・・・・・・・・・・・・ 試練に会うと、主が飛んで、目の前の状況に飲み込まれてしまい、 最悪のシナリオが出来上がる。最悪の結末で、すべてがだめになっ てしまうと思う。つまりは舟が沈んでしまうと。しかし主が同船の 舟が沈む事が不可能だ。主への信頼が与えられるよう祈ろう。