2019年03月06日(水)

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります」マタイ6:34


私たちには、現在から先のことはいっさい見えない。だから明日の
事は全くわからない。見えないので、先に心配事があるなら、大き
な不安と思い煩いに襲われてしまう。あの事は、この事は・・と考
えるのだが、全く見えないので、不安と恐れにおおわれるばかりだ。

そして、不安は不安を呼び、増幅して行き、幾ら大丈夫だと思って
も、得体の知れない恐れが、次から次ぎへと湧き上がって飲み込ま
れてしまう。あなたも経験があるだろうか。最悪のシナリオが出来
上がっている。周囲から、幾ら大丈夫だからと励まされても、どう
してもだめなのだ。自分でもわかっているが、どうにもならない。

主はそれもご存じで、この1日、「今日」を考えてごらんと言って
おられる。今、現在、何か不足があるか?常に、とにかく今日は必
要が与えられている事に気づくようにと。その「今日」の連続が一
生だ。果てしない明日を心配し恐れるより、今日、十分必要が満た
されている事に、感謝してはどうだろう。

ある独り身の高齢の婦人は、「だれが心配したからといって、自分
のいのちを少しでも延ばすことができますか」の御言葉が、心にズ
バリと入り納得できた。今日、飢えていない、身体が守られている。
必要が与えられている。「今日」を心から感謝していると、喜びが
溢れ、平安で心が満たされ、先の不安が全く消えたと。明日は委ね
て、今日、精一杯感謝して生きよう。
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具体的な計画ではなく、漠然と明日を心配しネガティブになるのは
今日を無駄にしてしまう。今日の恵みに目を向けてみよう。まだ気
づいていない恵み、感謝していない恵みはないだろうか。