2019年06月05日(水)

「『青年よ。あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された」ルカ7:15



やもめである母親の一人息子が、死んでかつぎ出されるところに、
主は遭遇された。やもめの上に、たった一人の息子を失うとは、母
親は、どん底の悲しみ、絶望であったろう。病気やけがなら治るが
、死だけは何もかもを容赦なく断ち切ってしまう。後戻りも回復も
不可能だ。何もかもが打ち砕かれてしまった状況だ。

当時のやもめは、社会的に厳しい状況にあり、唯一頼りであった息
子、そして生き甲斐であった息子を失うとは。はらわた裂かれる思
いだったろう。生きる望み、支えが無くなってしまった。泣き続け
ていた。そこに、主が「泣かなくてもよい」と御声をかけられた。
「かわいそうに思い」「深い同情をよせられ」「憐れまれ」とあり、
強烈な同情だ。

腹の底からの憐れみが湧き出で、溢れ出て、主は青年を癒された。
母親から頼まれてではなく、一方的に主の溢れ出る憐れみによって
であった。「青年よ。起きなさい」の言葉で、青年は生き返った。
主は口先でなく、「深い同情」と共に「力」を持っておられる。
「泣かなくてもよい」はその通りに実現し成就した。

同じ主が、今、悲しみのどん底に、絶望にある私たちに、腹の底か
らの同情を寄せていて下さる。そして、主の御口から出る言葉は、
私たちの心に奇跡を起こし、揺るぎない「平安」をもたらす。「彼
を母親に返された」、取り返し不能、完全に失ってしまった状況に、
決定的解決を与えられた。この同じ主が、今、あなたの目の前にお
られる。
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この先どうなるのだろうとの不安と恐れを主はいつも共にいて、深
い同情を持って見ていてくださっている。主の守りの中にいること
を覚えるとき不安が消えて、何の心配もないと慰められ励まされる。