2019年07月06日(土)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神 よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17


ある子供が警察沙汰を起こした。父親は当時の企業戦士で、早朝出
勤、深夜帰宅、仕事だけに生きて来て、家庭は妻任せであった。い
っさい子供に関わって来なかった。多忙を理由に、家庭の事は妻に
押しつけ、顧みることも無かった。仕事がすべてだった。子供が非
行に走り、大変な問題を起こし、現実を見せつけられた。脳天打ち
砕かれたように、悔いくずおれた。

出世街道をひた走り、仕事しか頭に無く、野心でいっぱいだった。
子供の事など無かった。家長の責任を全く果たしていない。自分は
何をしていたのか。自責の念と後悔で涙が止まらなかった。自分の
せいだ。この事で砕かれ、御前に悔い改め、自分自身が神に立ち返
る事ができた。

遅れながら、息子のために出来る事は何でもしようと決心していた。
学校にも、地域の青少年育成会にも関わり、夜回りも引き受けた。
仕事でも数々の問題を抱える中、刈り取りは決して甘くは無かった。
身体的、精神的、時間的にもう限界の瀬戸際だった。しかし強いら
れてでも、義務でもなく、したいからしている自分がいた。そんな
歳月の中、息子が「今のおやじは嫌いではない」と言ってくれた。

この瀬戸際の中で支えられたのは、自らの罪が赦されたという事
実だった。「わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さ
ない」との赦しを受けて、その事が感謝で感謝でならなかった。ギ
リギリの日々にも、心の底に深い安堵があり、平安が流れていた。
だからこそできた事だった。罪が赦されるとは、何という恵みだろ
う。主の十字架のゆえだ。自らが受けるべき罰を主が受けて下さっ
た。驚くべき恵みだ。

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「あなたの罪は赦されています」とは、何と驚くべ事だろう。罪赦
される喜びは、何にも代えられない。何度も失敗してしまうが、赦
されて、赦されて生かされている。その赦しを通して、主の深い愛
を知る。もう一度立ち上がれる。