2019年08月05日(月) 「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへ の水がわき出ます」ヨハネ4:16
「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへ の水がわき出ます」ヨハネ4:16
サマリヤの女性は、井戸ばたに水を汲みに来ていた。女性たちは皆、 涼しくなる夕方に生活用水を求めて井戸に来た。そして談笑を楽し んだ。井戸端会議だ。しかし彼女は、カンカン照りの暑い、誰も来 ない昼間に来た。人目を避けての事だった。その時に、主は彼女に 「水を下さい」と求められた。 彼女は、サマリヤ人のそれも女性に、ユダヤ人の男性が話しかける ことに驚いた。当時そういう習慣は無かった。それにサマリヤ人と ユダヤ人は敵対関係だった。そして主は、ご自身こそが、生ける水 を与え、渇くことのない、真の心の満たしを与えることができると 言われた。 箴言に「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」とあるが、人間 は心の奥で誰しも、愛し、愛されることを求める。しかし人間の愛 は条件付きであり、時に人の心は変わってしまう。この女性は、男 性の愛を求めて、さまよっていた。それにより自分は満たされ幸せ になれると思ったからだった。 そのため五度の結婚と離婚を繰り返し、今の相手とは同棲中だった。 しかしそこに心の満たしは無かった。この世の水は飲んでも飲んで も、満たされるどころか、ますます渇く。そのため、次から次へと 満たされるものを求めて、さまよう事になる。私たちも、もし心に 喜びや満足が無ければ、主以外のもので、心を満たそうとしていな いだろうか。 それなら更に渇くばかりだ。心の奥に強い渇きがあり、満たされず に、虚しさの中にいた彼女のその心を知り、わざわざ彼女に会うた めに、主はサマリヤに立ち寄られた。「サマリヤを通って行かなけ ればならなかった」と。私たちの心の渇きを主はご存じだ。主こそ が渇きを満たして下さる唯一のお方だ。 ・・・・・・・・・・・ 主は、女性の心の奧の渇きと求めを知っておられた。そして心の必 要を与え、満たされた。私たちの心の奥はどうだろう。何を求めて いるのだろう。もし主を求めていたなら、必ず満たして下さる。泉 となり永遠の命への水が湧き出ると。