2019年09月05日(木)

「口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、ののしりは心から出て来るからです」マタイ15:18



世の中は「性善説」であり、人は善いものだが、外側からのものに
より、汚されると考えられている。環境、成育歴、親、社会が悪い
から犯罪を犯すと。だから環境・社会が良くなれば、人は良くなり、
その悪いものを除くのが教育だと。だが聖書は正反対の事を言う。
人は生まれつきの罪人であり、罪を犯すから罪人なのではなく、罪
人だから罪を犯すのだと。

幼児は嘘をつく。親は嘘をつくように一度も教えた事はない。しか
し子供は必ず嘘をつく。「義人はいない。ひとりもいない」外側の
問題、環境でなく、人の内側からのものが人を汚す。様々な悩み、
争い、それらは環境の問題ではない。それに関わる人の心から、内
から出て来るものの問題だ。

心に原因があり、内から出る「罪」が人を汚す。唯一、主の十字架
の血潮だけがその罪を赦し、きよめてくれる。又、外側から私たち
に入るもの、それが人の悪意や侮辱であれ、私たちを汚すことはで
きない。決してできない。自分から出るものだけが、自分を汚す。
つまり、人は私たちに何もできない。人の悪意に対して、自分が反
応する事から起きている。

もし敵対心や憎悪で反応するなら、自分は罪を犯す事になる。しか
し主に愛されている事に堅く立ち、その侮辱を憎しみで返さなけれ
ば、人は、誰も自分を汚すことはできない。自分で報復せずに、主
に委ねるよう言われている。その時、自分から出るもので、自分を
汚す事が誰にも出来ない。
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御霊に導かれ歩もう。外がどんな状況であれ、主の十字架によって
内側には新しい平和と喜びの御霊をいただいている。外のものを見
るとすぐに沈んでしまう。この主を仰ぎ主に愛されていることを覚
えて歩もう。