2019年11月05日(火)

「イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわた しの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです」ヨ ハネ12:7 


                    
マリヤが「埋葬の用意にと」主のからだに、油を塗った。主がこれ
から十字架に向かわれる事をただ一人悟っていた。これが主の最後
の旅である事がわかっていた。それで主のために精一杯お献げした
いと願い、高価な香油を惜しげもなく主に注いだ。すると弟子たち
が憤慨した。香油をむだにするとマリヤを責めた。

「300デナリ以上に売れて」と300万円の価値だった。貧しい人々に
施せたのにと。主に注ぎ流してしまうのは無駄だと。しかし主は
「マリヤはわたしの葬りの日のために それを取っておこうとし
た」とマリヤを擁護された。「それを取っておき」少しづつ蓄えて
いた。マリヤの主への愛だ。

献げ物は主への愛の表われだ。今、自分に出来る事をすれば良い。
私達はよく思う。もっとお金があればと、そうすれば献げるのに。
お金が無いから献げられないと。今は忙しくて時間が無いから、余
裕が出来たら時間を献げよう。状況と環境が変われば、もっと主の
ために労力を献げられるのだが・・、と。しかし、そのようになった
としても献げるとは限らない。

今、「自分にできることを」すればよいと。弟子たちさえ、十字架
をわかっていたなかったのに、なぜマリヤは悟れたのだろう。主の
足元に座して、いつも真剣に御言葉に聞き入っていた。一言ももら
すまいと。そしてその心からの愛の献げものは、今から苦難に向か
う主を、どんなにお慰めした事だろう。

・・・・・・・・・・・・・
お献げしたマリヤは生涯どんなに喜びであった事だろう。「この女
は、自分にできることをしたのです」自分に出来る事でお献げする
事ができる。愛する主をお喜ばせするために、今、自分にできる事
は何だろう。主は受け取って下さり、自分には喜びが与えられる。